他力の救済

他力の救済

 

 

 我、他力の救済を念ずる時は、我が世に処するの道開け、我、他力の救済を忘るる時は、我が世に処するの道閉づ。
 我、他力の救済を念ずる時は、我、物欲の為に迷はさるること少く、我、他力の救済を忘るる時は、我、物欲の為に迷はさるること多し。
 我、他力の救済を念ずる時は、我が処するところに光明し、我、他力の救済を忘るる時は、我が処するところに黒闇覆う。
 ああ、他力救済の念は、よく我をして迷倒苦悶の娑婆を脱して、悟脱安楽の浄土に入らしむが如し。
我は実に此の念によりて、現に救済されつつあるを感ず。もし世に他力救済の教なかりせば、我は終に迷乱と悶絶とを免れざるべし。しかるに今や濁浪とうとうの暗黒世裡に在りて、つとに清風掃々の光明界中に遊ぶを得るもの、その大恩高徳あに区々たる感謝嘆美の及ぶ所ならんや。日本他力教の宗祖親鸞聖人の御誕生会を聞き、一言もって、祝辞に代ふ。

 

 

明治36年4月1日三河大浜町西方寺に於て清沢満之謹日