企画展
◆ 展示案内
2023年度企画展
「清澤満之と家族」
会期…2023年3月3日(月)〜2024年2月25日(日)
【開催にあたって】
清澤満之は、現在の名古屋市黒門町に、父徳永永則、母タキの間に生まれた。四人兄妹の長男として育った満之は、徳永家の跡継ぎとしての責任を担うことになった。西方寺の清澤やすと結婚すると、その間に生まれた子どもの所属をめぐって、満之は思い煩うことになる。その後、肺結核にかかると経済的な理由もあり、実父永則とともに西方寺で生活することになり、様々な苦労がたえなかった。
一方、その最晩年、実父永則と義父厳照との会話の中から、満之は浜風という号を得ており、宗教的信念を確かめている。満之における求道の歩みは、このような人間関係を離れてはなかったのである。
今回の展示では、徳永家・清澤家に係る史料を展示する。
[展示の解説]
T、徳永家――熱心な聞法者の母の姿
満之は、幕末維新期の名古屋に生まれた。住所が転々と変わり、混乱した社会の影響を受けていた。そのなかで勉学に秀でた満之は、父親をはじめとする家族の期待を一身に受けていた。一方、母親は近くの真宗寺院に通い真宗の教えを聞き続けていた。このような幼少期の環境のもと、満之は育ったのである。
U、清澤家と満之
満之は、三河大浜の西方寺の清澤やすと結婚した。妻のやす、そして義父となる厳照への手紙が残されており、愛情と尊敬の念に満ちた満之の心情をうかがうことができる。しかし徳永家の長男としての責任を担う満之は、その跡継ぎ問題をめぐって清澤家との複雑な関係に苦しむことになるのである。
V、長男信一をめぐって
満之の妻やすとの間に、信一が生れた。二人目の子供で、待望の長男の誕生だった。ところが徳永家と清澤家の跡継ぎ問題の渦中を生きることになった。ここには日本の家族制度の問題が横たわっていた。
W、満之の死―遺された者への問い
満之は、四十年の短い生涯を閉じた。その葬儀には、満之と縁をもつ多くの人たちが集まり、その死を悼んだ。満之は、遺された者に多大な影響、そして課題を与え、その後も生きつづけたといえるだろう。