企画展

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◆ 展示案内

 

 

 

2021年度企画展

 

「清澤満之が見た風景その2―近代日本の鉄道と戦争」

 

    会期…2021年3月1日(月)〜2022年2月27日(日)

 

【開催にあたって】


 〇趣旨文
近代の日本人のなかで、鉄道の必要性を感じた一人に渋沢栄一(1840〜1931)がいる。「近代日本資本主義経済の父」と称される渋沢の人生をたどりながら、どのように鉄道と出会い何を感じたのかを見ていきたい。そして近代日本における鉄道の歴史の一端を見ていきたい。
 前回の企画展「清沢満之が見た風景―近代日本の交通手段」に引き続いて、今回は、近代日本の代表的な交通手段である鉄道において、戦争がその歴史を動かす大きな契機となったことを見ていきたい。
1889(明治22)年に官設の鉄道(新橋―神戸間)が成功を収めると、その後多くの私設鉄道が開業し全国的な鉄道ネットワークを形成した。
 そうしたなか、西南戦争をはじめ、日清・日露戦争を通して、人員や物資を大量に輸送できる鉄道が注目され、その軍事的な利用が増大していった。
 政府は多くの私設鉄道を買収し、鉄道の国有化(1906年)を実現した。また対外戦争を繰り返すなかで、台湾や朝鮮にも鉄道を敷設した。さらに半官半民の南満州鉄道株式会社(満鉄)が設立された(1906年)。
そのような歴史を確認しつつ、清沢満之(1863〜1903)が同時代の日本社会、特に戦争をどのように見ていたのかを尋ねていきたい。

 

 

[展示の解説]

 

T、渋沢栄一と鉄道

 

 渋沢栄一(1840〜1931)は、徳川昭武(慶喜の弟)に従い、フランスをはじめとするヨーロッパを視察した(1867年)。渋沢が、後に銀行業などのビジネスに従事する際に、フランスで学んだことが大いに役に立った。その道中、工事中のスエズ運河からアレキサンドリアの間、鉄道に初めて乗り、その便利なのに感心して「国家はこのような交通機関を持たないと発展はしない」と感じた。


U、近代日本の鉄道と戦争

 近代日本における鉄道は、近代国家建設にとって必須の事業であった。
1889(明治22)年に官設の鉄道(新橋―神戸間)が成功を収めると、その後多くの私設鉄道が開業し全国的な鉄道ネットワークを形成した。そして鉄道は日本の工業化、近代化を牽引していくことになる。
 そうしたなか、西南戦争をはじめ、日清・日露戦争を通して、人員や物資を大量に輸送できる鉄道が注目され、その軍事的な利用が増大していった。
 政府は多くの私設鉄道を買収し、鉄道の国有化(1906年)を実現した。また対外戦争を繰り返すなかで、台湾や朝鮮にも鉄道を敷設した。さらに半官半民の南満州鉄道株式会社(満鉄)が設立された(1906年)。


V、清沢満之と日清戦争

 日露戦争(1904年)の前年に亡くなった満之は、近代日本の対外戦争としては、日清戦争(1894年〜1895年)の時代を生きた。同時期に、東本願寺の宗門改革運動に取りくんでいたこともあり、満之が戦争について記述した記録はそれほど多くはない。
 肺結核発病後、須磨の療養地でつけていた日記には、日清戦争時の威海衛(いかいえい)の戦いに関する事項が記録されている。当時の新聞に大きく報道されており、それらを元に書いたのではないかと思われる。
 多くの日本人がこの戦争に熱狂し、初めての対外戦争によって国家意識が浸透したとされるが、満之は、戦争の事歴を記しながら何を感じたのだろうか。


W、宗教(真宗)と国家

 満之は、雑誌『精神界』に、「宗教的信念の必須条件」(明治34<1901>年11月)を掲載した。このなかで、宗教的信念に目覚めるための必須条件として、世俗を超える出家の精神を述べている。そして文章の後半では、如来の光に触れたとき、「道徳を守るもよい、知識を求むるもよい、政治に関係するもよい、(中略)国に事ある時は銃を肩にして戦争に出かけるもよい」としている。
 満之は、東京で『精神界』が創刊される前、西方寺に滞在していたとき、『阿含経』を読んでいる。釈尊の伝記を伝える『阿含経』の中で、釈尊が王宮を出て出家をする場面に涙を流したことを、満之は日誌に書いている。
 「宗教的信念の必須条件」は、この『阿含経』を読んだことが背景にある。この文章の前半では、釈尊の伝記が伝えるように、「親も捨てねばなりませぬ、妻子も捨てねばなりませぬ、財産も捨てねばなりませぬ、国家も捨てねばなりませぬ」としている。
 「国に事ある時は銃を肩にして戦争に出かけるもよい」は、あらゆる世間への執着を離れたところから、世間と関わる時の心境を述べたものである。つまり戦争に勝つとか負けるとかに執(とら)われることがないことを意味している。積極的に戦争に反対しているわけではないという批判もあり、この一文をどのように理解するのかをめぐって様々な議論がある。