他力の救済 我、他力の救済を念ずる時は、我が世に処するの道開け、我、他力の救済を忘るる時は、我が世に処するの道閉づ。 我、他力の救済を念ずる時は、我、物欲の為に迷はさるること少く、我、他力の救済を忘るる時は、我、物欲の為に迷はさるること多し。 我、他力の救済を念ずる時は、我が処するところに光明し、我...
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三。絶対他力之大道一自己とは他なし絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾に、この現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり。ただそれ絶対無限に乗託す、故に死生の事また憂うるに足らず。死生なおかつ憂うるに足らず、如何にいわんやこれより而下なる事項においてをや。追放可なり、獄牢甘んずべし。誹謗、擯斥、あまたの凌...
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I 雑誌『精神界』所収論文一 精神主義 吾人の世に在るや、必ず一の完全なる立脚地なかるへからす。若し之なくして、世に処し、事を為さむとするは、恰も浮雲の上に立ちて技芸を演せむとするものゝ如く、其転覆を免るゝ能はさること言を待たさるなり。然らは、吾人は如何にして処世の完全なる立脚地を獲得すべきや、蓋し...
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二。我が信念私は常々信念とか如来とか云うことを口にしていますが、その私の信念とは如何なるものであるか、私の信ずる如来とは如何なるものであるか、いま少しくこれを開陳しようと思います。私の信念とは、申す迄もなく、私が如来を信ずる心の有様を申すのであるが、それに就いて、信ずると云うことと如来ということと、...
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