明治の宗教哲学者。名古屋生まれ。大浜の西方寺が終焉の地。東京大学哲学科を卒業。
真宗大谷派(東本願寺)の改革運動に尽力。
肺結核発病後、宗教的信念に目覚める。浄土真宗の『歎異抄』の精神(他力の教え)を近代において新しく蘇らせた。
東京本郷に門弟たちと学舎・浩々洞(こうこうどう)を開き、雑誌『精神界』を刊行し、「精神主義」を唱える。真宗大学(現在の大谷大学)の東京移転に従事し、初代の学監となる。
近代日本において、西洋哲学の方法を用いながら、宗教的真理(仏教の縁起)の探求に努め、人類が救済される道を「精神主義」として示した。
それは同時に現代の様々な問題(政治、経済、教育等)に苦しむ我々の灯火ともなっている。

 

 

 

文久3年〜明治36年
     (1863年〜1903年)
       享年41歳

生涯と家族―清澤満之記念館記事一覧

清澤満之の生涯

〜清沢満之の生涯〜  前期(誕生〜学生時代)清澤満之は、文久3(1863)年に尾張藩士族徳永永則、タキの子として名古屋の黒門町に生まれた。貧しい生活を送りながらも、学問がよく出来、父の薦めもあって医者を目指したこともあった。その後、得度を受け、東本願寺の育英教校(いくえいきょうこう)に入る。さらに東...

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清澤満之の家族

清沢満之の家族  清沢満之… 文久3年(1863)〜明治36年(1903)   徳永家の長男。結婚により西方寺へ入寺し、のちに清沢姓となる 。   西方寺副住職 。     ※ 満之の妻子についても、徳永姓と清沢姓の可能性があります。徳永家の家族徳永家の家族名   前生没年備  考父徳永永則天保2〜...

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参考書籍

〜本の紹介〜●はじめて満之を知る人に『人物叢書 清沢満之』吉田久一著吉川弘文館1996年1,850円『評伝 清沢満之』(法蔵館選書)脇本平也著法蔵館1982年1,680円『清沢満之 生涯と思想』教学研究所編真宗大谷派(東本願寺)出版部2004年1,200円『清沢満之・鈴木大拙』(日本の名著43)橋本...

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清澤満之年表

清澤満之年表年次西暦年齢事歴社会・教団文久318631名古屋黒門町に生まれる。父徳永永則、母タキ。幼名満之助。翌1864には東本願寺両堂焼失(禁門の変)明治元18686明治維新。神仏分離令。418719三河大浜騒動。5187210愛知県第五義校が開校し義校生となる。義校の廃止により第廿三番小学遷喬学...

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