清澤満之の生涯と家族

生涯と家族

清沢満之の家族 
 清沢満之… 文久3年(1863)〜明治36年(1903)
   徳永家の長男。結婚により西方寺へ入寺し、のちに清沢姓となる 。
   西方寺副住職 。
     ※ 満之の妻子についても、徳永姓と清沢姓の可能性があります。

 

徳永家の家族
名前
生没年
備考

徳永永則
天保2〜大正3
尾張藩下級士族
晩年は西方寺で生活

  たき
天保14〜明治24
篤信の人

  ゑつ
元治元〜明治20

佐藤家に嫁ぐ

  鐘(志ゃう)
明治2〜(不詳)
松宮家に嫁ぐ

  金之助
明治7〜明治11

 

祖母
  まつ
(不詳)〜慶応2
祖父の後妻(同居ではない)
満之は幼時、祖母の家に預けられて育った

 

 

 

 

満之の妻子
名前
生没年
備考

  やす
慶応3〜明治35
清沢家の次女
長女
  みち
明治22〜昭和4
水野家に嫁ぐ
長男
  信一
明治26〜明治35

 

次男
  即往
明治30〜昭和43
西方寺第36代住職
現住職(第38代)の祖父
三男
  広済
明治32〜明治36

 

 

 

 

 

西方寺の家族
名前
生没年
備考
義父
清沢厳照
天保13〜明治41
西方寺第34代住職
義母
  温子(はる)
弘化4〜大正4

 

義姉妹
とし子・をき・かづ子・ちよ・かぎ子
(省略)

 

義弟
  法賢
明治元〜昭和14
をき(清沢家の三女)の夫
西方寺第35代住職
〈お断り〉 女性の名前については、例えば「やす」の場合「おやす」とも「やす子」とも呼ばれていたようです。
      また、「康」「屋寿」といった漢字表記もみられ、女性の場合は上記が正確な名前とは限りません。
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